
梅崎 勝
私、今年55才。色々と人生歩んできました。
地元高校卒業後、大手スーパーマーケットに入社。
今の見掛けと違いスリムな体形で高校の時のあだ名はピンク。
髪は茶髪でピアス。
ナンパな風貌でファッション関係に進みたかったこともあり、初めての担当の鮮魚は社会の厳しさを心底味わいました。
なんといっても今は死語の3K。
「きつい、汚い、臭い。」
夏場は臭くて電車の中でも苦情を言われるほど。。
なんたって、女の子には何やってる人?と言われて魚屋と答えると笑われる始末である。
こんな不遇時代を3年半すごしたのち、神奈川県の藤沢にスポーツ担当として転勤。
せっかく海のそばに転勤したので江の島の近くの鵠沼海岸に住むことにした。
海から300メートルくらいのところで夜は波の音が聞こえる。
朝は、サマーベットを持ち片手にラジオと本を持ち優雅に海で読書。
何てよいところと思うのだが、夏は一般客で車は渋滞。
当時は暴走族が一晩中騒ぎ、車や家電は潮風で錆びだらけと住んでみないと分からない苦労もありました。
お陰様でここでの成績は、当時のアイドルのおかげでローラースケートやスケートボードが大流行して、販売数量は1位でした。
これに気をよくして自信過剰となり、何と転職してしまいました。自分はもっと売れる。何の根拠かわからない自信で。
次の仕事は、貴金属の営業でした。
社長の運転手をしながら新規開拓や広告の作成をしていました。
このころ時代は懐かしいバブル景気。
毎晩接待や飲み会。
売上も電話で1千万の受注など笑いが止まらなかった。
趣味も充実していて、ホノルルマラソンにも参加。
なんと充実していたんだろう。
しかし、バブルがはじけ営業成績は右肩下がり。転職。
「社長になろう。」
唐突に独立を目指してノウハウを吸収しなければと思い、大手居酒屋に就職。
店長や新規開業を沢山経験し平成11年3月かしわ亭を創業。
居酒屋時代のアルバイトが慕ってくれ、創業時に手伝ってもらい順風な滑り出し、当時のアルバイトは20人を超えて大所帯。
翌年には2店舗目を開店。
順調と思っていたが、アルバイトの不正。
創業メンバーは一人になってしまいました。
2店舗なのに・・・。
父と叔父に手伝ってもらいながら人員の増強。
翌年には3店目も開店。
人員もままならないのに急ぎすぎました。
翌年、何を勘違いしたか異業種に進出。
さらに翌年1店舗を開店。
しかし、景気が良かったのもここまで。
飲酒運転の罰則強化が始まり、売り上げ大幅ダウン。
資金枯渇。
店舗の売却や返済の資金繰りで本業は出来ずに弁護士探し。
法人化していたため会社は倒産。
個人事業のみでの営業。
ここでワンポイントアドバイス。
弁護士は必ず守ってくれます。
ただ弁護士はやみくもに探すのではなく、自分の話をきちんと聞いてくれ、納得出来る方を探しましょう。見つかるまで5人以上面談しました。
平成11年から早20年。
倒産から学んだのは、人を使う難しさや自信過剰からくる無駄な投資。
地道でコツコツ進み見栄を張らず、謙虚さが長く続ける商売のコツなのだと気づきました。
また、自分一人では何もできないので力になってくれる従業員を大事にすることでしょうか。
これから時代がさらに変わるので、逆らわずに流れに乗りながら進んでゆきたいものです。